22 「超人!アレクサンドロス大王から学ぶ ”人間らしさ”」
まとめ
Whatever possession we gain by our sword cannot be sure or lasting, but the love gained by kindness and moderation is certain and durable.
武力により得たものは長く続かないかもしれないが、慈愛と節度により得た愛は永遠である。
ストーリー
アレクサンドロス大王と聞いてどんな人をイメージしますか?
知っている方は”超人的”、”英雄”、”伝説”、”最強”など数々のパワフルな言葉を思いつくかもしれません。
そう思うのは、ローマの英雄カエサル、稀代の戦略家ハンニバル、アメリカ初代大統領ジョージワシントン、ドイツのロンメル将軍、有名なフランスの王ナポレオン・ボナパルト、これら古今の英雄たちに影響を与えたと言われる人物がアレクサンドロス大王だからです。
アレクサンドロス大王(BC356年〜BC323年)とは、アレキサンドロス帝国を築き上げた、アルゲアス朝マケドニア王国の王です。
事実、エピソードの一部として14歳で誰の手にもおえなかった暴れ馬を手なづけたり、4万兵(アレクサンドロス大王陣) VS 12万兵(ペルシア軍)という3倍の兵数を持つ相手に勝利したりと神がかった偉業を成し遂げてきました。
そんな、超人アレクサンドロス大王ですが、人間くさいと感じたエピソードがあるので3つ紹介します。
アレキサンダー大王にまつわる8つの逸話!彼の生涯を知れる本4冊も紹介 | ホンシェルジュより抜粋
1. 親友と間違えられても、捕虜を丁寧に扱った
紀元前333年、イッソスの戦いにおいて、アレキサンダーは初めてペルシア王ダレイオス3世と相まみえます。ダレイオスはアレキサンダー軍におされ、武器や王衣、家族まで置き去りにして逃亡しました。
その後アレキサンダーは、捕虜にした王族を丁重に扱います。
あるとき親友のヘファイスティオンを連れて、ダレイオスの家族に会いにいったときのこと。2人とも同じような衣装を身に着けていたので、ダレイオスの母はどちらが王なのか見分けられませんでした。そこで、より体が大きく、美しさでも優っていたヘファイスティオンを王と考え、彼の前にひれ伏します。その後自分の誤りに取り乱す彼女にアレキサンダーは「お間違いになったわけではない、この男もまたアレキサンダーなのだから」と言って、彼女たちを慈悲深く取り扱うつもりだと伝えたのでした。
2. 王宮を燃やした
紀元前330年、ペルシアの重要都市ペルセポリスを攻略したアレキサンダーでしたが、ここで、ある行動に出ます。彼は征服しながらもアケメネス朝ペルシアの伝統を重んじ、ペルシア人も重用することで味方につけようとしていました。しかし、全体としてペルシア人は彼に敵対的なままです。
こうした中、業を煮やした彼はペルセポリスの王宮に火をつけました。ペルシア人に自らが新しい王だと知らしめるための冷静な行動だったのか、それとも感情に任せた突発的な行動だったのか、評価が分かれています。彼自身は東征からこの地に戻った時、かつての自分の行いを恥じたと伝えられています。
3. 乳兄弟を殺してしまった
東征が進むにつれ、彼の周りにはペルシア人の側近が増えていきます。そのことは、東征開始から彼とともに戦ってきたマケドニア貴族たちの不満の種でした。
ある時酒宴の席で、彼の乳兄弟で親友のひとりでもあるクレイトスが、「王はペルシア式の専制君主となり果ててしまった」と、アレキサンダーを責めます。怒りに我を失った王は、槍でクレイトスの体を刺し貫いてしまいました。
そして我に返った彼は、自分で自分を友達殺しと罵り、テントにこもって嘆き続け、3日間は食べ物も飲み物も、その他どんなものにも心を向けなかったと言われています。
感想
あなたはアレクサンドロス大王をどんな人間だと思いましたか?
私は人間の良いところも悪いところも素直に出していて本当に人間らしさが詰まっているなと思いました。
ストーリー1では器の大きさ、徳があることを感じました。まさに偉大な王の姿です。
一方でストーリー2,3はどうでしょうか?
感情に我を失いとんでもないことをしています。
そして、それをひどく後悔して嘆き悲しみます。
完璧な人はいないのだなと思いましたし、これだけ感情豊かな彼に親近感が湧いてきます。
このように人の強さだけでなく弱さも知ることでなぜか安心しますよね。
結論
弱さもさらけ出せる人間味あふれる人になろう!
豆知識
アレクサンドロス大王は1匹の蚊によって殺されたと言われています。
死因はマラリアとの説が濃厚ですが、はっきりしたことは分かっていません。